2014年5月15日木曜日

「もののあはれ」で行こう。

色んな仕事場を訪問して得た体験を
旅としてパッケージ化するのがぼくの仕事。
毎回職場を訪れると、場の空気や働く人、
仕事の道具等などなど、言葉では言い表しきれない
様々な出会いがあります。

そのたびに「うぉ・・・すっごい。」と恐れ入るのですが
でも、この「うぉすごい」を人に伝えるのは難しい。

仕事旅行のHPで紹介するべく
文章、写真、時には動画を用いてできる限りを尽くす。
それでもどうしても表現しきれない部分がでたり、
伝えたい要素が一部抜け落ちてしまうことがあります。

さらに商売っ気を出して、人に選んでもらうために、とか考え出すと
感じたものを単純化したり、一側面を切り取って表現したり、
いろんな余計な要素を取り入れる必要が出てきます。
すると残念ながら本来の姿から離れたものになっていきます。

情報を発信するためには避けられないことではあるけど、
違和感がどうしても残ります。

一方、社会ではこの一側面だけを伝える情報が大流行り。
物凄い量の断片的な情報が飛び交っています。
そんな情報の洪水に襲われて、ぼくもみんな右往左往している。
なんだか本末転倒じゃない・・・?それ。(ボソっ)

そんなときに本居宣長の「もののあはれ」と言う言葉が目に入りました。
この言葉は、何だかさみしげな「哀れ」の情景だけを表現する言葉として
理解されがちだけれど、本来もっと広義な意味があります。

「切り取った事象としてではなく、全体像としてとらえること。」

ぼくの解釈が間違っていなければ、論理的に説明するのではなくて
「直観的に全体を捉える」ということ。
「うぉ、すごい」を通して物事を理解するっていうことと遠からずなのではないでしょうか

「すごい!」とか「かわいい!」とか「ヤバい!」とか言うと
若者はボキャブラリーが足りないなんてすぐ言ってくる人がいるけれど
実はそれでよくて、下手に言葉にする必要なんてないし言葉にはできないものです。
直観的に理解することをもっと重視してもいいんじゃないかな。

だから、今こそこの「もののあはれ」って感覚を
しっかりと見つめなおしたら良いと思うのです。
現代人のぼくらは頭でっかちにならず
ものごとは見て触れて感じて、理解しようよって思うんですよね。

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