2014年6月9日月曜日

人間味を帯び始めた仕事観

「24時間戦えますか?」
昔サラリーマンの頑張る姿を表現したCMがありました。
今の時代にそんな労働時間を求める会社があったら
間違いなくブラック企業と呼ばれ、即アウト。
このCMが流れていたのはバブル期ですから
(ぼく自身はその頃の働き方は良く知りませんが・・・。)
凡そ20年くらいの間に、世の中の仕事観は
随分変わったんでしょうね。

今考えてみると24時間働ける人間なんて
居るわけないし、そう願っている人もまずいません。

でも、当時はそのくらい猛烈に働くのが
珍しくなかったのでしょうし、むしろキャッチコピーとして
話題になる位、当時の世相を捉えていたのでしょう。

わずか20年足らずでそこまで仕事観が
変わったのは、ネット社会の到来が原因の一つなのでは
とぼくは思っています。

なぜなら、ネットが普及する以前の会社であれば
自分の見本となる働き方は、会社の同僚、上司や役員たちの姿や
せいぜいテレビや新聞から流れてくる情報位なもの。
「24時間働く。それがサラリーマンのあるべき姿だ!」と言われても
それを否定したり疑ったりするだけの情報を持ち得ませんでした。
だから、24時間働けますか?が話題になるほど
みんな頑張っていたのでしょう。

それが、インターネットのおかげで
国内外の仕事の情報が流れてくる。
すると、どこにも24時間働く人なんていないことがわかってしまう。
みんなそれなりに頑張ってはいるけれど
そんな無茶する人はいないし、自分もする必要が無いことが分かる。
「24時間働けますか?」だと?!そんなのありえませんと言う風に
この仕事観が消えていったのではないでしょうか。

勝手な妄想を続けて未来予測まで話を広げます。
このような情報時代が続けば続くほど
情報が断絶されていた頃の仕事観は
単なる偶像だったとはっきりしてきます。
結果、我々の仕事観は次第に人間らしさというか、
普通の人間が働くうえで、無理をしない
地に足の着いた形になっていくと思うのです。

例えば、最近(?)社会貢献をしたいという人が
若手中心に増えてきています。
社会貢献したいという人間らしい欲求が
仕事観に反映されるのは、上記の流れから極めて自然で
仕事が人間らしくなってきた証拠だと思えるのです。

とはいえ、社会貢献を大前提とした仕事が
世の中の主流になるかと言われるとそうでもなく、
それは仕事に人間味が加わった際に現れた
一部分にしか過ぎないわけです。

また別の例で言えば、
働き方(特に時間的拘束)を自由にしよう
というような公的な動きもあります。
これも仕事が人の生活により馴染んだ形に
近づいている過程の一つです。

まずは多くの人が共有できる部分
社会貢献性への注目や拘束時間の自由化などの変動から始まり、
それが徐々に個々人の人間らしさの追求へ広がります。

最終的には、働き方や仕事観も画一的なものが無くなり
個人個人の人間が異なるように、
個々人のその人らしさ=その人の仕事という形で
表現されるような社会になると思うのです。

おおざっぱに言えば、みんながみんな異なる
働き方や仕事観で、それぞれ自由に働くようになるのです。

とはいえ、この自由と言うものを与えられたときに
困ってしまうという人が非常に多いんですよね。
これは近い将来日本の一番の問題になると思うし
そこが仕事旅行のお役にたてる部分なのかなと思っています。

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